疑問
子どもの頃にマシュマロテストで我慢できたかどうかは、その後の人生の成功を予測する、という話を聞いたことがあるでしょうか?目の前の誘惑に耐える自己制御能力が、将来の学業成績、キャリア、健康にまで影響を及ぼすというこの通説は広く知られています。しかし、このマシュマロテストの結果は、本当に子どもの将来の成功や人生の幸福度を予測するのでしょうか?
この通説の背景
「マシュマロテスト」は、1960年代後半から1970年代初頭にかけて、心理学者ウォルター・ミシェルとその同僚がスタンフォード大学で行った一連の実験に端を発します 1。この実験は、主に4歳の子どもたちを対象に実施されました。子どもたちの目の前にマシュマロなどのご褒美を置き、「このマシュマロをすぐに食べてもいいが、私が数分間部屋を離れている間、食べずに待っていれば、もっと多くのマシュマロがもらえる」という選択を提示しました。
このテストの最も有名な点は、実験に参加した子どもたちをその後長期間にわたって追跡調査したことにあります。ミシェルら(1989)の初期の研究では、4歳児の遅延報酬能力が高い(つまり、マシュマロを長く我慢できた)子どもたちは、思春期により高い学業成績を収め、認知・社会的能力に優れている傾向があることが報告されました 2。この知見は、自己制御能力が将来の成功にとって重要な指標であるという考えを広め、教育や子育ての分野で大きな注目を集めることとなりました 3。
通説を支持する側の主張
マシュマロテストが将来の成功を予測するという通説は、ミシェルらの長期にわたる追跡研究によって強く支持されてきました。例えば、ミシェルら(2011)の研究では、幼児期の遅延報酬能力が、その後の40年間にわたる社会的、認知的、精神的健康の重要な成果を予測する有意な妥当性を持つことが示されています 1。
具体的な成果としては、遅延報酬能力が高かった子どもたちは、思春期に高い学業成績、より良い教育達成度、効果的なストレス対処能力を示す傾向が見られました 32。また、Schlamら(2013)の研究では、4歳時のマシュマロテストの成績が、およそ30年後の成人期のBMI(肥満度指数)を予測することを示唆しており、健康面での長期的な関連性も指摘されています 4。Bermanら(2013)は、子どもの頃の自己制御能力が、成人期のワーキングメモリの制御能力と関連がある可能性を示唆しています 5。これらの研究は、マシュマロテストの成績が、個人の将来の多岐にわたる側面と関連が深いという見方を裏付けるものとされています。
検証エビデンス
通説を支持する研究がある一方で、近年では、マシュマロテストの予測力について、より慎重な検証が求められるようになってきました。
Wattsら(2018)が行った大規模な概念的再現研究では、4歳児の遅延報酬能力と15歳時の学業成績との間には有意な相関が認められましたが、その強さは、元の研究で報告されたものの約半分にとどまることが示されました 6。さらに重要な点として、この関連性は、子どもの家庭環境(例えば、母親の教育水準)や、子どもがすでに持っている認知能力(知能など)といった要因を統計的に調整すると、大幅に弱まることが明らかになりました 6。この結果は、マシュマロテストの成績と将来の成果との関連が、単純な自己制御能力だけでなく、子どもの育つ環境や元々の認知発達レベルと複雑に絡み合っていることを示唆しています。
MichaelsonとMunakata(2019)による、元の研究と同じデータセットを用いた事前登録済みの再分析でも、元の研究で用いられた分析手法を適用した場合、5つの将来の成果のうち3つで有意な関連性が見られたと報告されています 7。しかし、この研究のタイトルが「同じデータセット、異なる結論」とされているように、データ分析の手法や考慮する変数の違いによって、結果の解釈が大きく変わりうる可能性も示唆しています 7。
研究全体の整合性
初期の研究から、マシュマロテストの成績と将来の成果には関連があるという見解は一貫して示されていますが、近年の研究では、その関連性の強さや、他の要因との相互作用についてより深く考察する必要性が指摘されています。
つまり、遅延報酬能力は将来の成功と全く無関係ではないものの、その影響は従来考えられていたほど単純ではなく、より複雑な背景要因によってモデレートされている可能性が高いと言えます。
また、マシュマロテストにおける子どもの行動は、単なる「自己制御」の有無だけでなく、様々な心理的要因によって左右されることも示唆されています。例えば、Maら(2020)の研究では、遅延報酬能力が自己制御だけでなく、他者からの評価を意識した「評判管理」という合理的な意思決定プロセスによっても動機づけられる可能性が指摘されています 8。Koomenら(2020)の研究では、子どもが協調的な目的のために遅延報酬を行うことも示されており、集団内での関係性も影響を与える可能性があります 9。
さらに、特定の感情を刺激したり 10、心理的な距離を取るような言語を用いることで、子どもの遅延報酬能力が向上することも研究によって示されています 11。これらの知見は、マシュマロテストの結果が、子どもの一時的な心理状態や外部からの影響を受けやすい側面も持っていることを示しています。
留保点と限界
本記事で紹介した検証研究は、主に学業成績や行動などの比較的客観的な指標に焦点を当てており、個人の幸福度や人生の満足度といったより広範な「成功」を直接的に評価した研究は限定的です。また、マシュマロテスト自体も、子どもの発達段階、文化的背景、テスト実施時の環境要因(実験者の信頼性など)によって結果が変動する可能性があり、単一の指標で複雑な将来を予測することには限界があります。遅延報酬能力は、子どもの成長において重要なスキルの一つであることは変わらないものの、それが「成功」を決定づける唯一または最も重要な要因であると断定することはできません。
結論
マシュマロテストで示される遅延報酬能力は、子どもの将来の学業成績や行動の一部と関連があるとする初期の研究は複数存在します。しかし、近年の検証研究では、その関連性は当初考えられていたよりも控えめであり、家庭環境や子どもの既存の認知能力など、他の多くの要因が複雑に影響している可能性が示唆されています。
したがって、「マシュマロテストの結果が直接的に将来の成功を決定する」という単純な見方は、現在のデータからは支持されないと言えるでしょう。自己制御能力は重要な要素の一つではありますが、個人の「成功」は多岐にわたる要因の複合的な結果であると考えるのがより適切です。
エビデンスについて
本記事は他の研究者による査読(ピアレビュー)を経て学術誌に掲載された論文のみを根拠としています。査読前のプレプリント論文は、まだ独立した検証を受けていないため引用対象から除外しています。
引用元
Footnotes
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Walter Mischel, Ozlem Ayduk, Marc G Berman ほか. (2011). ‘Willpower’ over the life span: decomposing self-regulation. Social cognitive and affective neuroscience, 6(1), 2-10. DOI: 10.1093/scan/nsq081 ↩ ↩2
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W Mischel, Y Shoda, M I Rodriguez. (1989). Delay of gratification in children. Science (New York, N.Y.), 244(4907), 933-938. DOI: 10.1126/science.2658056 ↩ ↩2
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T. Reinelt, A. Wirth, Wolfgang A. Rauch ほか. (2014). Duration Discrimination Predicts Delay of Gratification In Children with and without ADHD. DOI: 10.1016/J.SBSPRO.2014.02.383 ↩ ↩2
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Tanya R Schlam, Nicole L Wilson, Yuichi Shoda ほか. (2013). Preschoolers’ delay of gratification predicts their body mass 30 years later. The Journal of pediatrics, 162(1), 97-101. DOI: 10.1016/j.jpeds.2012.06.049 ↩
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Marc G Berman, Grigori Yourganov, Mary K Askren ほか. (2013). Dimensionality of brain networks linked to life-long individual differences in self-control. Nature communications, 4(1), 1834. DOI: 10.1038/ncomms2374 ↩
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Tyler W Watts, Greg J Duncan, Haonan Quan. (2018). Revisiting the Marshmallow Test: A Conceptual Replication Investigating Links Between Early Delay of Gratification and Later Outcomes. Psychological science, 29(7), 1159-1177. DOI: 10.1177/0956797618761661 ↩ ↩2
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L. Michaelson, Y. Munakata. (2019). Same Data Set, Different Conclusions: Preschool Delay of Gratification Predicts Later Behavioral Outcomes in a Preregistered Study. Psychology Science, 30(12), 1801-1811. DOI: 10.1177/0956797619896270 ↩ ↩2
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Fengling Ma, Dan Zeng, Fen Xu ほか. (2020). Delay of Gratification as Reputation Management. Psychological science, 31(9), 1137-1147. DOI: 10.1177/0956797620939940 ↩
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Rebecca Koomen, Sebastian Grueneisen, Esther Herrmann. (2020). Children Delay Gratification for Cooperative Ends. Psychological science, 31(2), 195-207. DOI: 10.1177/0956797619894205 ↩
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Einav Shimoni, A. Berger, Tal Eyal. (2022). Your pride is my goal: How the exposure to others’ positive emotional experience influences preschoolers’ delay of gratification. Journal of Experimental Child Psychology, 213, 105356. DOI: 10.1016/j.jecp.2021.105356 ↩
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Caitlin E V Mahy, Louis J Moses, Bronwyn O’Brien ほか. (2020). The roles of perspective and language in children’s ability to delay gratification. Journal of experimental child psychology, 191, 104767. DOI: 10.1016/j.jecp.2019.104767 ↩