その通説って本当?
プロスペクト理論は、「人は損失を同額の利益より重く感じる」「利益が見込まれる場面では確実な選択肢を好み、損失の場面ではリスクを取りやすい」といった説明で知られます。では、この理論は現実の人間の選択を正確に言い当てるのでしょうか。
理論の土台となった代表的な選び方は、別の大規模研究でも確認されています。 しかし、この理論が一人ひとりの判断をいつも言い当てるわけではありません。特に「損失は利益の約2倍重い」と、誰にでも当てはまるように説明するのは正確ではありません。
通説が広まった背景
KahnemanとTverskyは1979年、結果が得られる確率とその価値から選択を説明する従来の「期待効用理論」では説明しにくい選び方を示し、実際の選択傾向を説明するプロスペクト理論を提案しました1。中心となる考え方は三つあります。人は最終的にいくら持っているかだけでなく、現在の状態などを基準に、そこからどれだけ得たか、損したかで結果を捉えます。また、金額が大きくなるほど増減の違いを感じにくくなり、確率についても、示された数字をそのまま受け止めるとは限りません。
1992年には、起こり得る結果が二つより多い選択にも使いやすい形へ拡張されました。損得をどこから数えるか、金額の増減をどう感じるか、確率をどう受け止めるかを、データから数値で表せるようにしたものです2。一般向けの説明では、こうした複数の考え方を含む理論が、「人は損失を利益より重く感じる」という一面だけで語られがちです。
検証エビデンス
| 研究 | 対象・方法 | 主な結果 | この通説への意味 |
|---|---|---|---|
| Kahneman & Tversky(1979)1 | 結果が確実な選択肢と、結果が不確実な選択肢を比べる複数の質問 | 利益の場面では確実な選択肢を好み、損失の場面では賭けに出やすいなどの傾向を確認 | 理論の出発点となった選び方 |
| Tversky & Kahneman(1992)2 | 起こり得る結果が二つより多い選択にも使える形へ拡張 | 損得を数える基準、金額が大きいほど増減を感じにくくなること、確率を数字どおりに受け止めないこと、損失を重く見ることを数式で表した | 現在よく使われる形の基礎 |
| Ruggeriら(2020)3 | 19か国、13言語、4,098人に、原研究と同じ形式の質問を実施 | 調べた項目の94%と、理論上重要な13組の比較のうち12組で、原研究と同じ傾向が見られた。一部は前回より小さかった | 元の研究の主な結果が、多くの国で確認された |
| Walasekら(2024)4 | 結果が不確実な選択を扱った既存データを、同じ方法で計算し直した | 損失を同額の利益より重く見る度合いは平均1.31倍で、幅の見積もりは1.10〜1.53倍。計算し直せるデータが少なく、質にも問題があった | 「損失はいつも約2倍重い」とは言えない |
| Walasekら(2025)5 | 84論文、149,218人分の結果を、条件をそろえて改めて分析 | 利益と損失が同額で、提示順を無作為にした研究では、損失を重く見る度合いは約1.07倍で、明確に1倍を上回るとは言えなかった | 質問の出し方や比べる条件によって結果が変わる可能性 |
Ruggeriらは、原研究の金額を各国の通貨に合わせ、同じ形式の質問を行いました。調べた項目の94%と、理論上重要な13組の比較のうち12組で、原研究と同じ傾向が見られました。理論の土台となった結果の多くが、別の国や言語でも確認されたことになります。一方で、前回より傾向が弱い項目や、国による違い、同じ人の回答のばらつきも見られました3。
一方、「損失を同額の利益よりどれだけ重く感じるか」については、まだ結論が出ていません。この度合いを表す数値は、ギリシャ文字のλで示されます。2024年の分析では、平均は1.31倍で、よく引用される2.25倍より小さく、同じ方法で計算し直せるデータも限られていました4。2025年に複数の研究を条件別に見直した分析では、利益と損失が同額で、提示順を無作為にした場合、約1.07倍でした。損失を利益より明らかに重く見ているとは言えない結果です5。これは理論の土台となった選び方全体を否定するものではありません。「損失を重く感じる度合いは誰でも同じだ」という見方や、その調べ方に疑問を投げかける結果です。
研究全体の動向
現在の争点は、「プロスペクト理論が正しいか、合理的な選択を前提とする理論が正しいか」という単純な二択ではありません。どのような質問なら説明しやすいのか、人や状況による違いをどう扱うのか、ほかの理論より正確に予測できるのかが調べられています。
また、架空の選択問題から得られた全体の平均を、そのまま投資、医療、政策における一人ひとりの行動予測へ当てはめることはできません。現実の問題にプロスペクト理論を当てはめた研究を読むときは、損得を数える基準、金額の増減の感じ方、確率の受け止め方を、実際のデータから確かめているかを見る必要があります。
留意点
- プロスペクト理論は、単に「人は非合理だ」と指摘するものではありません。人に見られる選び方の傾向を、数式で表すための理論です。
- 「同額の利益より損失を重く感じること」「利益の場面で安全な選択肢を好むこと」「説明の仕方によって選択が変わること」は、同じ現象ではありません。
- 損失を利益よりどれだけ重く感じるかを表す数値は、すべての人に共通する固定値ではありません。質問、金額、提示順、計算方法によって変わり得ます。
- 集団全体に見られた傾向から、特定の人が次に何を選ぶかを確実に予測することはできません。
- 現実の意思決定には、学習、経験、感情、制度、繰り返し行う選択など、一度きりの架空の選択問題には含まれない要因があります。
結論
プロスペクト理論の土台となる選び方の多くは、複数の国で行われた大規模研究でも確認されました。そのため、人に見られる選び方の傾向を説明する、有力な考え方だと言えます。
ただし、「あらゆる意思決定を正確に説明する」「損失は誰にとっても利益の約2倍重い」という強い通説は支持できません。判定は限定的支持です。理論を使うときは、どのような選び方を、どの質問で、何と比べて確かめたのかを区別して読む必要があります。
引用元
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Kahneman, D., & Tversky, A. (1979). Prospect theory: An analysis of decision under risk. Econometrica, 47(2), 263–292. ↩ ↩2
-
Tversky, A., & Kahneman, D. (1992). Advances in prospect theory: Cumulative representation of uncertainty. Journal of Risk and Uncertainty, 5, 297–323. ↩ ↩2
-
Ruggeri, K., Alí, S., Berge, M. L., et al. (2020). Replicating patterns of prospect theory for decision under risk. Nature Human Behaviour, 4, 622–633. ↩ ↩2
-
Walasek, L., Mullett, T. L., & Stewart, N. (2024). A meta-analysis of loss aversion in risky contexts. Journal of Economic Psychology, 103, 102740. ↩ ↩2
-
Walasek, L., Mullett, T. L., & Stewart, N. (2025). Loss aversion is not robust: A re-meta-analysis. Journal of Economic Psychology, 107, 102801. ↩ ↩2
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